・・・一刻館 制作記 1・・・

一刻館の間取りで悩むところは管理人室の出っ張りです。これがあるかないかで、だいぶ変わってきます、あった場合、東南端の通し柱が管理人室の中を突き抜けます。木造、戦前築造ですが、天守じゃないんだからそれはないだろう。ということで、妄想に妄想を重ねて次の建築経緯としました。
当初は1階3部屋 2階3部屋で管理人室はなかった。1階は6畳+板敷、2階は4畳半と北側に廊下となり、外観は1階北側が張り出した直方体である。戦前の借間であればこれくらいの広さが妥当ではないだろうか。(2号室の二階堂君が引っ越してきたときにちらっと2間に見えたのは気のせいにしよう!)また、時計塔が屋根裏にあり躯体強度をあげるため、各部屋の間に半間の壁(押入れ兼用)がある。 と、ここで考える。この時計、どうやって動いていたのか?。建築年次から想像すると札幌や銀座の時計塔よりは新しいが電動ではないはず。とすると動力源は重りで、振り子機械時計であろう。ということで2階東端の半間があり、ここに重りがあって1階まで抜けていた。これが東端の謎の空間(屋根裏に上がる階段の横、響子さんがブレーカーをいじっていた壁の裏側)の理由で辻褄が合う。重りの引き上げため、管理者が来ていた。管理人は隣接した東側別棟に住んでいた。その後(戦後)、時計の動力は電動となり、この重りの空間は必要なくなるが逆に常駐の管理人室が必要となったため増築、その際1号室だけ少し大きく改修となった。つまり、管理人室は増築されたものとなる。管理人室がこの位置になったのは敷地の形状からで、肝心の通し柱は管理人室の押入れ側にある。いやぁ苦しいなぁ、でもこれで自分自身を納得させないと先にすすみません。加えて屋根の形状が複雑になるけどやむを得ないなぁ。で、時計はいつ止まったんだ!

建築当初の平面図

管理人室増築後の平面図。東南端の通し柱は押入れ北側の柱と兼用となります。

ザックリのイメージ図、屋根の棟の高さを合わせるために管理人室の軒高が少し高くなります。

 

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